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雲〜気象予報士岩倉尚哉
 私はこの夏、ふと一冊の季刊写真メッセージ誌に出会ったが、その冊誌題名には、「日向時間」という四つの文字が示されていた。思わず私はこの言葉に何故か強く惹かれるものを感じたのである。もともと、この「日向時間」という言葉は、私の若い時代は郷土宮崎の陋習(悪い習慣)の代表語であり、のさん、よだきい、てげてげ、ばからしいなどの言葉の同列語で、この言葉からの脱却をめざし努力した筈だったのに。
 時は移り、現今はすべてが日進月歩のスピード時代、豊かさを求めて時代に遅れるな、急げ、追いつけ、追い越せの合い言葉で得た今日の繁栄と豊潤。満ち足りた生活を満喫できたのに、何故か道行く人々の顔は冷たく無表情で無言のまま脇目も振らず、小走りで通り過ぎて行く。
 カサカサと乾いた人間関係。東京砂漠、コンクリートジャングルなどの言葉で表現される都会。地方都市までシャッター通りなどと有り難くない言葉も生まれてきていて、そこに住む人々もまた昔の心豊かな時代の表情(顔)を忘れている。
 私は写真を趣味としここ20年、カメラ散策を楽しんでいるが、特に宮崎の農山村の暮らしに強い愛情を持つ一人である。私が田舎を好きな一番の理由は、農村育ちの所為かもしれないが一歩足を入れるとそこには、膨らみながら、ゆったりと流れる時間がある。まさに「日向時間」がそこにある。さらに嬉しいのは、黙々と土に生き、天の恵みに感謝し豊かに暮らす「顔」が微笑みながら出迎えてくれるからである。さざめき遊ぶ子どもの「顔」までが天使に見えてくる。人をして心和ませるその「顔」はなにものにも代え難い宝である。最近そのような「顔」を持つ人に逢うことが少ないのが寂しい。
 在人和心(人在りて心和む)
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落合正治


1929年7月12日生 宮崎市在住
1990年 私立日向学院中学高等学校定年退職
現在、宮崎県美術協会副会長
『この地に生を受け70有余年。 遥かな日々の思い出をひもときながら、 レンズを通して自分の想いに重ねて写してきました。 「在人和心」人在りて心和む。 宮崎の風土と温かい人情をいつまでも大切にしていきたいものです』
写真集に「ひむかの郷の人びと」

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